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人間の性欲について語る上で、どうしても避けて通ることのできない問題が、アダムとイヴのお話しであろう。この原稿に対し、とくにキリスト信徒の方々からは異論があるかも知れないが、しかしなかんずく、この解釈は間違っていないと助兵衛は信じている。 ここで聖書について解説する気はないが、我流に説明するならば、神がお造りになったアダムに、一人では淋しいであろうからといってお造りになったのがイヴである。アダムとイヴの二人は、エデンの園で平穏な暮らしをすることを許された。しかしただ一つ、神との約束があって、それは「知恵のなる木の実を食べるな」ということだった。 みなさんは、この「知恵のなる木の実」を何であるとお思いでしょうか。そもそも、知恵とは何を指しているのでしょう。これは聖書によく使われる比喩表現の一つであると思われます。 ここでいう知恵とは、おそらく性に対する知恵、人間の種族保存のための知恵でありましょう。なぜそれを食べてはいけないのか? それは、人間が勝手に繁殖することを、神はお許しにならなかったからです。人間は神によって造られるものであって、勝手に繁殖してはならないというのが、神の考え方だったのです。 悲しいかな、人間は本能的に性に対する欲求を持っているがために、アダムとイヴも、神との約束を違えてしまったのです。まずはじめに、蛇がイヴに「この実を食べてごらん」とそそのかす場面があります。で、私たちは、この蛇の意味するものを考えなければならないでしょう。蛇→細長くてニュルニュルしている。そう、もうお分かりですね。男性器のことです。イヴはアダムの男性器に対して性的に興味を持つのです。「この実を食べてごらん」という勧誘は、「セックスしない?」との勧誘を意味します。それでイヴはOKするんですね。 次の場面として、今度はアダムも木の実を食べるシーンがあります。つまり、イヴがOKしたもんだから、やっちゃうわけですよ。それで結果として、神によって楽園から追放されてしまうわけですが…。 しかしみなさん、よく考えてみてください。今日我々の生活、とりわけここでは恋愛生活のことですが、よく似たことが言えますよね。アダムとイヴはセックスをして、イヴが妊娠してしまったがために、二人で遊んでいられる次期に終わりを告げた。子どもができちゃった以上、アダムは労働しないといけないし、イヴは子育てをしないといけない。私たちだって、彼氏−彼女関係で遊んでいて、ちょっとした拍子にセックスし、それが妊娠につながれば、これまで通り遊んだままというわけには行かない。お互いに仕事をし、女性はその子どもを出産しないといけない。もっともこのご時世だから、子育ては二人でするのが当たり前だけどね。 くれぐれもお願い! キリスト信徒の方、下劣な解釈だとお怒りにならないで。 |