トップページに戻る

冗長な会議



 ここに書き込むのは久しぶりになる。いや、むしろ、もう書くのを辞めようかと思っていた。最近はかつてのように時間に余裕もなく、ページの更新もままならない。だから、ネットサーフィンの時間も取れず、このページも、基本的に放置状態だったのだが、どうしても書いておきたいことがあるので書いてみた。
 責任ある立場で書かねばならないことはあるのだが、そうではなく、落書きできるのは案外限られていて、ここをそういう場として利用してみた。もともと、そういうことから私の活動は始まったわけだし、それでここ何年間か通してきた。だから、たまにはそういう形態で活動するのも、昔に戻る感覚でよいかも知れない。

 学生の間もそうだったが、冗長な会議に出くわすことがある。私はそれが嫌いだ。組織で、といっても複数の人間が集まるところであれば、必ずしも組織である必要はないのだが、そういうところで、何かを決めるときに用いられるのが会議という仕組みだ。ある意味民主的であり――私は民主的であることを無条件によしとはしないが――誰か独裁者がいて勝手にきめてしまうよりかよい。多分それは当たっているのだろうが、現実には、それが必要十分でないことがある。
 会議に出ていると、こんな事はさっさと誰かが決めてしまって、他の仕事をした方が効率的だと思うことがある。とくに仕事。会議の時間も出席者は給与を受け取っている。会議が1時間なら、会社は出席者分の時給と会議を運営する上で必要となるコスト(会議室の空調など)を支払っている。したがって、さっさと終わってもらわなければならないはずなのだが、最近、そうでないことが多くて悩んでいる。
 ある会議の終わり際、話された内容を確認するかの如く、出席者が発言をはじめた。そこまではよいのだが、確認ついでに(どさくさに紛れて)自分の意見を差し挟み、その事が原因で話がおかしくなってしまった。認識の齟齬があってはならないからと、改めて内容を確認する中で、やっぱりあっちの方が良いのではないかといった話になり、つまるところ、既に決着ついたはずの議論が蒸し返されることとなった。もう帰ろうとしていたり、他の仕事をしようとしていたりしていた人たちが、そういう迷惑なやつのおかげで冗長な会議に付き合わされることになった。そういう事情を、こういう連中は理解していないのだろうと思う。会議後、疲労感だけがたまった冗長な会議だったこと以外、頭に残らなかった。
 後日、別件でだが、会議が臨時に招集されることになった。きっかけは、「…そうならば、再度話し合いを設ける必要があると思うのですが、みなさんどうでしょうか?」というメールだった。さっき書いた、話題を蒸し返したやつとは別のやつだが、もしこれに異を唱えれば、その根拠についてぐだぐだと書くか述べるかせねばならず、とくに異を唱えなければ会議に行かねばならないという状況に私たちは陥れられる。私は結局後者を選んだのだが、そういった事情など、書いた当人はまったく意識していないご様子だ。おそらく、この会議もまた、冗長なものになるのだろう。仮病でも使って休んでやろうかと思う。
 話し合うことは、それ自体悪いことではないのだが、それにより一定期間人々を拘束するのだということは頭の片隅にでもよいから置いておいてもらいたい。そういう冗長な話し合いに時間を割くくらいなら、他の仕事をした方が有効に時間を使えるということも、一理あるだろうし、むしろ私はそう考えている。ここに書いたことは、おそらく私の周囲にばれると非常に気まずいことになる。ここで批判した相手は私にとって目上の人であり、下っ端の私には、彼らを批判すると居場所が無くなるからだ。だから、私の不満はインターネットに向けられた。ここに書くことで、何人かの人に読まれるなら、それでよい。そして、これを読んだ人には、どうかここに列挙したようなバカには気をつけて欲しいし、また、そういう人にだけはならないで頂きたい。口に出さないだけで、あなたの周りで肯いている人が、実は不平不満をあなたに対して募らせているのだということは、覚えておくことだ。

 いつか必ず、報いは受けてもらう。


トップページに戻る